海のあをにも染まずただよふ

若山牧水の有名な短歌に、
  白鳥(しらとり)は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
というのがある。古関裕而の曲が付けられていて、歌われることも多い。メロディーもよく、しみじみとした内容とよく合っていて、すぐれた日本歌曲の一つだと思う。
その場合、二番と三番には次の歌が当てられている。
  幾山河(いくやまかは)越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく
  いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐ふるや

この「白鳥は」の歌の「染まず」を、ある年配の先輩の人が、「しまず」と読んでおられた。私は「そまず」と覚えていたので、どちらが正しいのか迷った。確かに、「染(そ)まず」という言い方には、どことなく舌足らずの感じがないでもない。
正しいとは、語法的に正しい場合と、作者がどちらに読ませたかの二つの場合が考えられるが、この場合は作者の読みが優先するであろう。
そこで、牧水は既に故人なので、夫人の若山喜志子さんに手紙でお尋ねすることにした。その時、返信用の葉書の表にこちらの住所・氏名を書いて同封した。もう今から半世紀も前のことだ。

すると、次のようなご返事をいただいた。
  拝復
   御問合せの歌の読み方は、「そまず」が正しいのです。故人も
   「しまず」とは読んでをりませんでした。
    右御承知おき下さいませ
  十二月二十九日夜                   若山喜志子

「しまず」と読んでいる年配の人に、「やはり「そまず」と読むのが正しいようです」と、その葉書をお見せすると、若造から自分の読みの誤りを指摘されてさぞ不愉快な思いをされたであろうその人は、よほど人間のできた人だったのであろう、穏やかな口調で、
「そうでしたか。作者は「そまず」と読んでいましたか」
と言って、その達筆の文面を見た。そして葉書を裏返して、表書きが私の字になっているのを見ると、
「できれば、表も喜志子さんに書いてもらうとよかったですね」と言った。
言われてみれば確かに、葉書の表も裏も全部夫人に書いてもらえばよかったな、と思ったが、自分としては、こちらの住所や名前まで相手に書かせるのは申し訳ない、という遠慮があったのであった。

その葉書も半世紀の時を経て、折角の達筆の文字も薄れて読みにくくなってしまった。もう少し注意してとっておけばよかった、と悔やんだことである。



ところで、「染(そ)まず」 が、なぜ「染(し)まず」という読みを生んだかを考えてみると、次のようなことが考えられるであろう。

そこには、「染める」という意味の他動詞「染(そ)む」(下二段活用)に対する自動詞は、文語でも「染まる」(四段活用)ではないか、という考えがあるのだろうと思われる。
したがって、正しくは「海のあをにも染まらずただよふ」と言うべきであって、これを字余りになって具合が悪いからといって勝手に「染(そ)まず」と縮めて言うのは誤りだ、ということなのであろう。だから、これは「染(し)む」という四段活用の自動詞を使って、「染(し)まずただよふ」と7音に読むのが正しい、と考えるのであろう。

しかし、「染まる」という意味の文語の自動詞「染(そ)む」(四段活用)が存在するのである。この動詞「染(そ)む」の未然形は「染ま」となるから、その打消の形は当然、「染(そ)まず」という形になる。つまり、「染(そ)まずただよふ」という言い方は、文法的にも正しいのである。


              * * * * *

【参考】
ここで、「染まる」という意味の文語の自動詞「染(そ)む」(四段活用)の用例を、手元の古語辞典から少し拾っておきます。

  きみがさす(=枕詞)三笠の山のもみぢ葉の色 かみな月時雨
        (しぐれ)の雨の─・めるなりけり」〈古今集・雑体〉

 (引用者注:この「染める」は、四段活用の自動詞「染(そ)む」の
    已然形「染め」に、完了の助動詞「り」の連体形「る」のつい
    たもので、「染(そ)める」という他動詞ではありません。
    下二段活用の他動詞「染む」ならば、連体形は「染むる」と
    なるはずです。日本古典文学大系8『古今集』の巻第十九
    雜體の「きみがさすみかさの山のもみぢばのいろ かみな
    月しぐれの雨のそめるなりけり」(1010)の頭注に、〇そめ
    る―しみこんでいる。マミムメ活用の「染む」に、いわゆる完
    了の助動詞「り」のついた形」とあります。「神無月のしぐれ
    の雨が、しみこんでいるのであったなあ」。)

      
  池のはちすの花盛り─・まぬ色(=濁リニソマラナイ清ラカナ
     色)にも─・む〔わが〕心かな」〈拾玉集〉
                  (以上、『旺文社古語辞典』第八版)
  紅(くれなゐ)の時雨(しぐれ)なればや石(いそ)の上(かみ)
     (=枕詞)降るたびごとに野辺の─・むらむ」〈貫之集〉
                (『例解古語辞典』三省堂・1980年)      
  その涙、岸の竹にかかつて、まだらにぞ─・みたりける」〈平家
     物語・六・祇園女御〉     
         (『全訳古語例解辞典』小学館・昭和62年、初版) 


なお、若山牧水自筆の色紙に、「そまずただよふ」と仮名書きしたものがあるということです。沼津市の『若山牧水記念館』のホームページの「売店」のところに、その色紙の写真が出ています。また、この自筆の歌をそのまま刻した歌碑も、建っているようです。(色紙の歌は、「しら鳥は かなしからずや そらの青 海のあをにも そまずたゝよふ」と、5行に分かち書きしてあり、最後に「牧水」と記してあります。)

   → 沼津市の『若山牧水記念館』 → 「売店」 → 「しら鳥は……」の色紙の写真

この自筆の歌を刻した歌碑は、牧水の生誕地・宮崎県東臼杵郡東郷町(現・日向市東郷町)の美々津カントリークラブ内の8番ティーグラウンドの脇に建っているそうです。写真で見ると、色紙の「たゝよふ」が、「たゞよふ」になっているようです。
この歌碑の写真は、東郷町にある『若山牧水記念文学館』「若山牧水」というサイトに出ています。(写真をクリックすると、拡大します。)

  → 美々津カントリークラブ内の「しら鳥は……」の歌碑

 ※ この『若山牧水記念文学館』「若山牧水」というサイトには、「若山牧水資料」のところに「牧水歌碑」のページがあり、ここで全国にある牧水歌碑が見られて便利です。

       * * * * *


「幾山河……」の歌も、「幾山河」を「いくさんが」と読む人がいるが、これは「いくやまかわ」と読むべきであろう。この歌が出ている『海の声』(生命社、明治41年7月18日発行)には、
  幾山河越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日
  (けふ)も旅ゆく
となっていて、「幾山河」にはルビがついていないが、昭和4年に出た『牧水全集』第1巻(改造社、昭和4年11月8日発行)には、
  幾山河(いくやまかは)越えさり行かば寂しさの終てな
  む国ぞ今日も旅ゆく 
と、「幾山河」だけにルビがつけられている。
したがって、作者は「いくやまかわ」と読ませたものと考えられるのである。

「いくやまかわ」と読むと6音になって字余りにはなるが、「いくさんが」と読むのは、いわゆる「湯桶(ゆとう)読み」になるので、それを嫌うという意味合いと、やはり歌の内容からいっても、「さんが」と堅く音読みにすることを避けたかったのであろうと思う。

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